九尾まつりお話し(紙芝居)
大昔のことです。
全身が子牛ほどの大きさで、顔の部分が白く、金色の毛に覆われて輝き、九本もの尾が生えた狐がいました。この狐は、ありとあらゆる悪を身につけ、しかも、不思議な術まで使い、世界を征服するために全力を尽くしていました。特に、美しい女に化け惑わすのが得意で、インドや中国の王様も術にかけ悪行の限りを尽くし、日本にやってきて、玉藻の前という美女に化け王宮に潜り込んでいました。
あまりにも綺麗なお姫様だったので、他の誰よりも帝はかわいがり、その評判が遠くの国まで伝わりました。
しかし、あまりにも美しく帝がかわいがっているという評判が大きくなればなるにつれて、飢えや病気、地震や災いが多くなっていきました。
そのうちに、帝までが重い病に倒れ、熱にうなされる日々がきてしまい、どんなお医者様でも治すことができませんでした。誰もが治せず、もうダメかと思ったとき、家来の一人が、「もしや魔物の仕業かもしれない」と言い都で一番の占い師である阿倍泰成を呼び寄せました。
阿倍泰成が帝の状態を見るなり、「これはおかしい」と感じ、光の玉をかざしてみました。すると、光の影に映っていたのはなんと、大きな九本の尻尾を持つ狐が、帝に圧し掛かっている影でした。
「おのれ、この魔物め!!」と阿部泰成は呪文を唱え、玉に封印をしようとしました。しかし、玉藻の前は、くるりと体をひるがえして恐ろしい九尾の狐に戻ると、「まさに我は九尾の狐だ。もう少しで帝の生血を吸い尽くし、やがてこの世を我が手に治めて人の世を滅ぼそうとしたものを、お前の呪文に破れたのは無念じゃ」と言い、皆が恐れ、混乱して逃げ出るのを見て、九尾の狐はワッと隙を見て東の空へ飛んで行きました。
そして、月日は流れ、ある時この那須野が原に奇妙な出来事が起こりました。毎日農作業に出ていたお百姓さんが十人も二十人もいなくなり、その度に「ギャオーンっ!!」という薄気味悪い叫び声が聞こえたそうな。
その噂は王宮まで届き、帝が関東でその名を知られた三浦介(みうらのすけ)と上総介(かずさのすけ)の両名を将軍とし、阿部泰成と共に九尾の狐退治の命令をしました。八万余りの軍と以前よりピカピカと光り輝く玉を用意して、那須の野山に分け入りました。このピカピカと輝く玉は、阿部泰成が丹念に清めた土や砂を、幾重にも重ね作った、伝説の泥団子であった。
将軍と阿部泰成が軍を率いて野山を進むうちに、生ぬるく気分が悪くなるほど重い、湿った風が吹いてきました。その先に九尾の狐がいるではないですか。まずは九尾が逃げ出さないように那須の山間に閉じ込め、軍の皆に九尾の狐を囲い込むように指示を出しました。九尾を見つけ取り囲んだ一行は、慎重に間合いをとり、「ここだ!!」と一瞬のスキをみて全員に襲わせました。
九尾の狐は隠れる場所もなく驚き、バリバリと牙を鳴らし向かってきました。九つの尾を振り立てて、目からは火を噴き、人や馬を噛み千切り応戦してきました。
三日三晩戦いは続き、弱ってきた九尾の狐を、最後の力を振り絞って阿部泰成が玉に封印をしようと天高く投げ「レバンガ・レオ!レバンガ・レオ!」と呪文を唱えました。
そしたら、九尾の狐はその玉に吸い込まれ、封印される瞬間「ギャオーン!!!!」と叫び、その叫び声は那須野が原の隅々まで響き渡りました。
天地はドロドロと揺れ、真っ黒な雲が垂れ込め、激しい雷が煌いた。それが静まり九尾の狐を見てみると、玉が大きな岩と変わり、黄色の毒煙を吐き出していました。
こうして退治された九尾の狐は、二度と生き返りはせず、その岩は現在那須の殺生石と呼ばれ、今も黄色の毒煙を吐き続け、昭和32年に栃木県の史跡として指定され、那須高原の発展とともに、多くの観光客に親しまれています。
※このお話は2016年度那須九尾まつりで、当会のブースで行った「「九尾の歴史を知って、光る泥団子作り体験」で使用した紙芝居の内容です。